【ブログ】いのちのおわりにみみをすます(2)

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前回の日記で、長々とじいちゃんのことを書いたのは、ひとが死ぬということは、いくら一人のちっぽけな人間であろうとも、そこには深い生きざま、死にざまがあることを表現したかったから。


身近なひとがこの世を去ることで、初めてその悲しみを経験します。管理人もその悲しみを、昨年経験しました。初めて。

ひとは、身近なひとの死、を重ねることで、その経験を積むことで、何か得ていくのだと思います。いいか悪いか、その回数が多ければ多いほど、その「何か」が、一層蓄積されていくのではないかと。
経験する年齢にもよると思います。幼いころに、身近なひとの死を経験するということはかなり、そのひとの人生に影響を与えるのではないでしょうか。

かつて、日本テレビ系列で、『スーパーテレビ情報最前線』という番組がありました。
大家族特集であったり、新宿歌舞伎町のドキュメンタリーであったり、スポーツ選手の人生録出会ったり−−。

その内容は多岐にわたっていましたが、管理人が衝撃を受けたドキュメンタリーは、2001年11月12日に放送された、『突然!夫が末期がんを告知された〜家族の100日戦争〜』というものです。

働き盛りの1人の男とその妻、そして4人の子供たち−−その家族に秋、突然の告知がされます。当時、わずか38歳のお父さんに。

余命6カ月−−。

そのことを知った、幼い子ども2人が、日本テレビに手紙を送りました。

癌と戦っている父と、家族を最後まで記録してほしい・・・と。

そして、半年間の取材が始まりました。

医者に猛反対されながらも、家族そろって沖縄に旅行に行ったり、生前にお葬式の打ち合わせをすべて行ったり、すべて家族との最期の時間に費やしました。

そして、「お父さん」は、自宅で最期を迎えることを決意します。

妻も、その意を迎え入れます。
「死ぬ事を恐れて動かないよりも、お父さんが自由に楽しく生きてくれれば、それでいい。そうすれば、残される私たちも、後悔しなくてすむから…」。

階段も登れぬほどに弱って行く父、高熱にうなされていく父。子どもたちは「お父さん」のそのすべてを、そばで見つめていました。

そして、7月7日七夕のある昼下がり。

子どもたちは、願いを込めた短冊をベランダに吊るしました。

「お父さん、お空見ようか?」
すでにお父さんは、ベッドから起き上がれない状態。意識はもうろう。家族は覚悟していました。

そして、ベランダに出た直後−−。

お父さんの最後はベランダから見送ろう、それは子供と奥さんが、前から決めていた事だったそうです。


当時、小学生だった、ひとの死というものを見たことがなかった自分にとって管理人には衝撃でした。

テレビ画面の向こうで、ひとがスッといのちを落としていく。管理人よりも幼い息子たちが、父の死を泣きながらも受け入れていく。

そのあと、お風呂に出た蚊を、管理人は殺せませんでした。あまりにも衝撃過ぎて。

テレビをはじめとする報道は、政治や経済、事件などを「煽る」ということはよくします。しかし、もっと視聴者に「感銘」を与える報道、ドキュメンタリーはもっとないのかと、思うことが最近よくあります。

ひとが死ぬ瞬間を、「感銘」と言っては語弊があるのかもしれないけど、あの番組に出てきたお父さんや家族に、少なくとも管理人は感銘を与えられました。


先日参加した学会は、「在宅ホスピス」を研究する大会でもありました。
この番組を見たときは、在宅ホスピスという言葉は知らなかったし、まだ世の中にも広まってなかったと思います。それでも、家族は在宅での看取りを選びました。

実際には、家族の負担、誰が緩和ケアをしていくのか、金銭的な問題・・・etc.
問題は山積みであろうかと思います。

それでも、本人や家族が慣れ親しんだ地域で、まちで、家で、家族のもとで、最期を迎えたいというのであれば、それを支援していく仕組みはとても大切ではないかと思います。

そんなの理想だ−−と批判するばかしでなくて。
管理人も、家で・・・とか、地域で・・・とか、理想ではないか、と思う瞬間だってあります。

それでも、先日の発会では全身全霊で、在宅ホスピスにかかわっている方々が、全国から集まっていました。

それも数千人−−。

理想ですますのではなく、単純に批判していくのではなく。

どうやれば「死」を豊かにしていくことができるか、考えることのできた2日間の学会でした。





『スーパーテレビ情報最前線』
http://www.ntv.co.jp/supertv/old/data/2001/1112/week.html

※この番組と、学会は直接関係ありません。


【ブログ】いのちのおわりにみみをすます(1)

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母方の祖父が「この世」を去ったのは、昨年6月14日。

春にはすでに、肺癌を患っていることは知らされていて容態は案じてはいたけれども、あまりお見舞いには行けず。

少しずつ暑くなってきた4月か5月のある日、
母に「今度岡山帰る時、じいちゃんの見舞い行こうかおもよんじゃけど?」と電話をかけました。

母の口からは、「今度●●日にばあちゃんと、わたしで病院(の先生)に(今後の)話聴きに行くんよ。かなり厳しい話になるとは思うけど・・・あんたも来るか・・・?」。

自分ももう子どもじゃないし、祖父にも会いたいし、「ええよ」という返答。それから数日後、岡山市の入院先に向いました。

久々にあった祖父は、病院生活で酒を飲まなくなったせいか、体調がよろしくなかったからか、結構痩せたようす。少し祖父と会話をしたのち、祖母と、母といっしょに、担当医の部屋に。

なんだか医療ドラマで見たような光景の中に自分がいて、現実味がなかったんだけども、話は、さらに現実味のないものでした。

−−2週間、放射線治療を試したけれど、進行度合いは早い。このまま治療を続けることは、本人に負担になるかもしれない。手術をする体力はないだろう。家族の皆さんには、このまま病院で治療を続けるか、本人に最期をどこで過ごしてもらうか、つらいだろうけれど、考える時が来てるのかもしれない。

そういった話だったように思います。

そしてその次の日には、紹介してもらったホスピスの見学へ行った記憶があります。
「ホスピス」が、ガンに関する施設(実際には癌だけにとどまらない)−−ということはなんとなく知っていたけれども、頭のゆるい管理人は、このとき初めてホスピスというものに触れました。

いわゆる、終末期医療。治療に専念して、なにがなんでも命を引き延ばすのではなく、最期に向かって緩やかに過ごす、その場を作り上げるのがホスピスのようでした(ホントの定義は知りません)。

少しして、祖父は病院を退院し、そのホスピスに。

うつって1週間後、再びお見舞いに行ったときのこと。
薬の副作用(治療の薬ではなく、痛みを緩和するための投薬だったみたい)で半分寝たままの祖父の横で朝から夕方まで過ごしました。鳥取に帰る最終便のバスが出る1時間前、やっと祖父が副作用の眠りから覚め、意識がはっきりした瞬間がありました。
管理人がいることもわかってくれて、「いったん鳥取帰るけぇよ〜」と声をかけると、はっきりした声で「おお、気をつけて帰れーよ?」と返事を返してくれました。そしてそれが温かい手を握った最後の瞬間でした。

それからさらに一週間後。土曜日の夜、「明日(日曜)見舞い帰ろうか・・・帰らまいか・・・」。

金銭的な面も考えてしまったり、体力的な面も考えてしまったり。迷った挙句、結局朝一のバスに乗り込みました。

高速バスに乗って1時間半後(岡山まであと1時間半の地点)、メールが入りました。

「おじいちゃんが危ないらしい」。弟が母の携帯を使って連絡してきてくれました。まさかでした。

普通のお見舞いに帰ろうとしていたその日、6月14日。

ホスピスに着いた時には下顎呼吸をしていて、脈も薄く。一週間前に感じた、手の温かさもすでにありませんでした。

それから数時間後、呼吸が少しずつ、少しずつ、小さくなり、吐息ともつかないほど小さな呼吸になり、84年間の命が途絶えました。

初めて、目の前で命がストーンと落ちてゆく瞬間を感じました。

さいごの2週間(といっても急変する前)は、好きなだけビールも飲んで、去って行ったようです。

死後、祖父の部屋にあった日記を開いてみると、こんな一文がありました(祖父は(管理人とは違って)かなりマメなひとで、一日も欠かさず日記をつけていました)。

(祖父の親友が少し前に亡くなっていたことを知った日の日記)
「周りの人間に迷惑をかけることなく、死んでいきたいものだ。長生きすることにあらためて疑問に思う」

職場を早期退職し、世界中行きたいところへ行き、酒も好きなだけ飲み、煙草も好きなだけ吸い、「やりたいことはすべてやりつくした。のに、まだ死なんわぁ」と冗談混じりに語っていた祖父。

何にも思い残すことなく、去って行ったことでしょう。

そして、残った祖母や母なども、がんが発見されてから亡くなるまで、つきっきりで看病していました。あれだけいのちがなくなるまで寄り添って、死を迎え入れていった祖母や母。悲しみはあっても、祖父が去っていくことに対して悔いはなかったと思います。

ホスピスは、そういった「死ぬまでお互い(死に逝く者と、それを見送る者)が、悔いを残すことなく過ごして、踏ん切りをつけていく時間」を与えていく場所なのかもしれません。



先日、10日・11日と、鳥取で、「第18回 日本ホスピス・在宅ケア研究会」が開催されました。
鳥取市にある大きな会館で、鎌田實さん(諏訪中央病院名誉院長)や、鳥取市野の花診療所の徳永進さん、よしもとばななさん(作家)、玄侑 宗久さん(作家・僧侶)、谷川俊太郎さん(詩人)らを迎えて、とても大きな大会がありました。



学会のタイトルは、「いのちのおわりにみみをすます」。
谷川俊太郎さんの詩、「みみをすます」からこのタイトルが生まれたそうです。


大学の先生の紹介で、管理人もこの学会、講演会を2日間聴きに行ってきました。
学会で出会った言葉や考え、死に対して感じたことを、何回かに分けて、書き綴って見ようと思います。

初回でいきなり長くなりました。


【ブログ】6月の過ぎ去りし日々

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6月が終わろうとしています。
さて、今月はさまざまなお誘いをお断りして、卒論の調査も行かずに(これは少し後悔?w)、ずっと鳥取にいました。鳥取に住んでいる大学生なのだから、当たり前なのかもしれないけど、とくに今年の3月から5月にかけて、玉島に長期滞在したり、1週間のうちに2〜3回玉島と往復したり・・・そんな生活を続けていました。

もちろん、玉島でいろいろ取り組みたいし、そのあいだに知り合った仲間たちとも、もっと一緒に活動したいし。そういう想いはあったのですが、鳥取で野暮用が続き忙しかった、せっかくの大学生、ここらで(卒論前に?)少し大学生活を満喫してみたい−−。

と、さまざまな理由や想いがあって、鳥取に引きこもってみました(実際は兵庫やいろんなところに行って、ブラブラしたけど)。

昼前に目を覚まし、ぼちぼちと大学に行き、本を読んだり、友人たちと雑談したり。大学院生とビア・ガーデンに行ったり、ゼミのメンバーや先生と焼き肉に行ったり。ドライブしたり。

なんだかんだで、「一般的な」大学生の生活を、堪能できたかと思います。

ひとことでいえば、「非生産的」な活動を満喫できました。


さまざまなところに顔を出していると、さまざまな方とお酒をともにさせていただくことがあります。

そこで、「おとなって何だろう?」と、まだまだお子様な管理人は考えるわけですが、

最近、「計算高いひと」と、「生産的なこと」が出来るひとが、大人なんじゃないのかなと感じるわけです。

あ、長くなりそう&眠いので、感じた理由は、次回にまわそうと思います。


命を考える6月−−

最終日に吉報です。意識を失っていた友人は、すこし前に、すでに意識を取り戻していたようです。一安心。手も、足も、動き、意識もある。

普段では感じない、命があるということ。悲しいかな、人間はこういったことが実際に起こってから、経験してからしか実感できないんですよね。


と、吉報を受け取ったと同時に、韓国俳優パク・ヨンハさんの訃報を耳にしました。

6月に限らず、命あることについては、常々感じていたいと思った今日この頃です。


雑文になりました。それでは7月もよいつきでありますように。

【お知らせ】サーバー移転・増設完了のお知らせ



先般お知らせしました、サーバー移転・増設は、無事に完了いたしました。

サーバー容量は、1GBから、8GBへ増設されました。

これに合わせ、千歳楽の動画や写真、また町の風景なども、さらにUPしていく予定ですので、今後とも、ザ・玉島!!をよろしくお願い申し上げます。

2010年6月30日
水川侑也


【お知らせ】サーバー増設に伴うサービス休止のお知らせ



平素よりザ・玉島!!をご覧いただき、誠にありがとうございます。

さて、本日30日、9時〜18時の間、サーバー移転・容量増設に伴い、ザ・玉島!!へのクセスが出来なくなります。(移設が完了した時点で運用は再開されます)

アクセスが出来ないと同時に、その間、●●●@the-tamashima.net宛に送信していただいたメールは、移転完了後に受信しますので、急用がある場合は、携帯電話などのほかのメールアドレス宛にご連絡ください。
 

以上、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。


2010年6月30日
水川侑也


【ブログ】お米から、祖父から−聞き書きに向けて

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相変わらず、昼前にならないと起きれない怠惰な生活で、今朝?は宅配便のにーさんが鳴らしたピンポンで起床。
実家から、米を送ってもらいました。最近、おにぎりを作るのがブームで、米の減るペースがはやい。(ちなみに、このおにぎりブームについて読売新聞「気流」欄に投稿したところ、なんと採用される予定です、今月28日朝刊)

米を送ってもらったとは言っても、管理人の実家は農家ではありません。田んぼもない、畑もない。地域の農業を語りながら、実際農業に接点が少ない、説得力のない「評論家」になりつつあって−−なるべくそうならないように気をつけているところ。

さて、話は元に戻って、なぜ実家から米を送ってもらっているかというと、それは90歳になる祖父の仕事にたどりつきます。
祖父も、農業をしているわけではありませんが80歳になるまで、米の仲買をして生計を立てていました。
以前の日記にも書きましたが、祖父はソビエト抑留以前に、馬鈴薯等を取り扱う会社に勤務。
おそらく、そこで商売の基本を身につけたのでしょう。抑留後、日本に帰ってきた祖父は、米の仲買を始めます−−。

玉島、浅口周辺の農家を回り、来る日も来る日も米、ササゲ(備中白小豆)等を買い取っていく日々。
米の質を見て、相場に合わ、祖父自身で米を見て価格を決め、問屋に売りつけに行く−−。
そんな生活を祖父は80歳まで続けました。


商売こそやっていませんが、90歳になったいまでも、自転車で(乙島から)金光の農家を訪ね、お米を買ってきます。

その米が、いま管理人の手元にあるお米。

「遥照山の水でつくっとるけぇこのコメがうめんじゃ」−−と祖父は言いますが、管理人には味の違いはさっぱりわかりません。

ただ、どうしてもこのお米を実家から送ってもらうのは、お米を買うお金の節約−−とか単純なものではなく、祖父が長年「付き合って」きて、築いてきた信頼関係のうえにあるお米。
「農家のため」とか「岡山の米」とか、そんな単純なものではなく、なんだかいろんなものが失いかけそうな、途切れそうな何かを、そのお米から感じる?気がして。何だか言葉にならなくて、何だかクサイけれども、そんなふうに思うのです。

麻袋の中に、ふるいコメと新米を混ぜられたり、中に重いものを入れるいわゆる「風袋かつぎ」にあったりして騙されかけたことも、相場から外れて損をしたことも。

それでも、相場がどんなに動こうと、農家の損しない良い値で買い取り、決して農家を欺くことをせず(安値で買って、問屋に高く売れば仲買人はもうかるために、儲けに走る仲買人も中には居た)、ときには農作業も手伝いながら、少しずつ、少しずつ、信頼を築き上げていった祖父のすがた。

「こっちでコメのキロ計るけぇ、(キロ数を偽ってないか)見てつかわせぇ(見てください)」と祖父が言っても、「あぁ水川さん勝手に計って持ってってちょーでぇ、ええでええで〜」と言われるほど、玉島・浅口で信頼を受けていた祖父のすがた。

父は、運動会も参観日も見に来てもらったことがない、家におらんかった−−と愚痴を言うけれども、、戦後岡山に帰ってきて、家も土地もなくなっていて、ゼロから立て直してきた祖父だからこそ、父たち家族を支えるために、玉島・浅口をはいずりまわっていたんだろうなぁ−−と最近思います。


ここ最近、「聞き書き」というものを少しばかり勉強?しています。決して、勉強して望むようなものではないんだろうけど、取材でもなく、観察でもなく、エッセーでもなく、相手の生きざまを、ソノママ残していく作業を真剣にやってみたいと思うようになったのです。
聞き書き本

祖父は、90歳。自分の4倍以上も生きてきた祖父のコトバを残して、そこから何か感じ取りたい。

満州時代のことも、シベリアのことも、仲買人のことも−−。

そういえば、尊敬する結城登美雄氏とお酒をともにしたときにも、祖父の仲買の話になり、氏からも、「よーく話を(祖父の話を)聞いておきなさい」と言われていました。

結城氏とそのお話をしてから、すでに1年も経ってしまいました。そのとき89歳だった祖父も、90歳に。

一般的に言われる「世の中」に役に立つか?と言われれば、ほとんど役に立たない。ただ、自分に、家族に、そして祖父の役にたてば、それは十二分なことだと思います。

【ブログメモ】コミュニケーションの原点

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 学校教育の場でも、プレゼンテーションのうまい子――みんなの前で意見を言える、手を挙げて質問できる子は、えらい子って言われます。でも、相手の話を聞くことは、どこでも教育を受けていないのです。教育現場でも受けていないし、社会でも受けていない。人前で意見を言えることだけを認めて、意見を言わないと、あなたは個性がないよって教えられる。

 だけど、コミュニケーションの原点は、相手の話を聞くところからスタートしている。相手の話を聞くということは、ただ言葉を聞くだけじゃなく、相手の動き、目の光り、あるいは場が醸し出している雰囲気、におい、すべてを開いて相手のことを受け止めることで、それがコミュニケーションの原点なんです。

 

『叡智が失われる前に 山里の聞き書き塾講義録』(2010)
山里文化研究所 澁澤 寿一 編集 より転載


【ブログ】金沢大学との交流

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「当社の志望動機は?」――。
就職活動をしているとき、必ずと言っていいほど受けた質問。これに加えて、管理人のまわりでは、もうひとつ、だれしもが聞かれる質問があります。

「地域学部って・・・なに?」。

未だ社会に浸透しているとは言い難い、「地域学部」。実は、アメリカなどでは、スタンダードな学問だそうです。ただ、日本国内では、未だ「学」としての位置づけはありません。

その模索を始めたのが、我らが地域学部なのです。

「学」を目指して、6年目になります(管理人は4期生です)。

ここ数年、「地域」を掲げる大学は数知れず。

岐阜、富山、奈良、山形、鳥取、そして金沢大学もそのひとつです。

シンポジウムが終わったあと、「金沢大学 地域創造学類」の学生さんたちと、お互いの活動発表と、懇親会を開催してきました。

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鳥取大学が、「地域調査実習」という科目で、地域に漬かっていくのに対し、金沢大学では「地域づくり学生インターンシップ」で地域に入っていきます。

お互い、考えてること、ん?っと思っていること、学生生活、その他もろもろ。
充実した時間になりました。

DSC_0228 のコピー.jpg

2次会は電車で市内に。先生のいないところで、もっとざっくばらんに(笑)

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2次会がおわってここで金沢大生とはお別れ。

3次会と称して、大学院生たちと朝6時半まで大学内で雑談。大学院生のいろんな考えに圧倒され、眠さに圧倒され(笑)

次回は、ぜひ金沢に――。

【ブログ】シンポジウム「大学になにができるか〜地域づくりと地域学」@鳥取大

ここに本文を記入してください。
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DSC_0137.jpg


 
昨日の第1回地域学研究会大会「地域づくりと地域学」は、無事に終了いたしました。

午前中は、日本学術会議地域研究委員会の副委員長を務める碓井照子氏のご講演があり、そして午後は、鳥取大地域文化学科 野田教授をコーディネーターに、「大学になにができるか〜地域づくりと地域学」と題してのシンポジウムが開催されました。

野田邦弘.jpg


 【野田】Q.大学に何ができるか?



パネラーは、


鳥取県智頭町の寺谷町長

寺谷町長.jpg  A.寺谷氏
 お上が指示して、集落が動くという時代は終わった。頑張った集落には、お金を出すし、何もしなくて愚痴を言うようではいけない。
 「そんなこというなら(選挙)票を入れないぞ!」と脅すひとが時折いるが、それで結構。住民に「平等に平等に」と補助をしていると、結果的に町全体が衰微してしまう。ひとつか二つ、ピカイチな集落が現れれば、それに追いつこうと、町全体が引き上げられていく。
 鳥取大の各ゼミには、それぞれの集落に入って、何かしら活動していただきたい。将来、「あの集落は俺が復興させたんだ!」と言えれば、学生たちにとっても何にも代えがたい誇り。
 家中ゼミ、藤井ゼミ、野田ゼミのみなさんには、ぜひ真剣に集落に入ることを考えていただきたい。
                 




NPO法人いんしゅう鹿野まちづくり協議会の長尾理事長
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A.長尾氏
 鹿野城址のお濠に石を投げると、輪が次第に広がっていくが、それと同じようなことが今鹿野に起きている。町並み整備をはじめて、さまざまな団体が出来てきて、「鳥の劇場」にも来ていただいた。
 そして、鳥取大の先生にも頻繁にお世話になっている。わたしたちにはない「知恵」をいただき、新しい発想にもつながってきている。農学部にいただいた「世界の蓮」もその一つ。
 今後も、輪がさらに広がっていくように、「お知恵」をいただきたい。










米子笑い通り商店街振興組合理事長の住田氏
住田理事長.jpg

A.住田氏
 米子は、湖山キャンパスから100キロちかく西にあり、なかなか連携というのは難しい。
 ただ、宍道湖の遊覧船に乗っていれば、かもめが飛んでいたりして、その風景は良い。
 休憩所「笑い庵」で、毛布さえあれば雑魚寝もできる。お酒を飲みながら、学生さんたちや先生とともに活動してみたい。
















鳥取県企画室長 高橋氏
高橋部長.jpg
A.高橋氏
 各審議会などで、すでに大変お世話になっている。「鳥取力」創造運動支援補助金は、スタートアップ型は補助額10万円しかないが、それでも多数の応募があった。「あたらしく活動したい」と思うひとは多い。今後も取り組みの支援をお願いしたい。













そして、コメンテーターは、我らが鳥取大学地域学部家中准教授でした。
家中茂.jpg
 長くなったので続きはまた。

【ブログ】てんやわんや

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先日の日記に書いた、友人は、いまだ意識は混濁しているようですが、少しずつ、少しずつ回復しているようです。

時折目を開けたり、手を握ったら握り返してくれたりするようで。
命ってとても力強いんだなっと感じる今日この頃。

さて、管理人の方は、さほど忙しいってわけではないんですが、仕事が遅いためか、なんだか余裕がない。

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夜、大学に残って作業して(まぁ毎日友人と学部棟で遊んでいるから、いつもと変わらないと言えばそうなんだけどw)、

あ゛〜!やっとられるか!!と、ひとりで憤慨しつつ、最近お気に入りのチリトマトヌードルと発泡酒でのんびり。

友人たちと話しながらチリトマトヌードルをすすっていたら、気がつけば夜中−−。

いい加減集中力をつけないといけません。もう21歳ですから(笑)

さて、いよいよ明日から「第1回地域学研究大会」が始まります。

管理人自体は、ほとんど企画・運営には関係なくて(大学の先生たちの主催)、シンポジウムはただ見に行く立場なんだけど、

問題はそのあと。

金沢大学の、地域創造学類の学生たちが来て、交流会が持たれます。
その際の司会をしなければならず、慣れない管理人は今からてんやわんや−−。

これも経験です。こんな経験、地域学部に来なかったらできてなかっただろうなっと。いろんな人と出会えてなかっただろうなっと。

この学部に、あと1年弱しか所属できないと思うと、なんだかさみしい気持ちでいっぱいです。とりあえず、残りの大学生活を全力で全うするしかない。

と、高らかに宣言したいのですが、最近、お昼前にならないと起きれません−−。
まずは、そこを改善することからだな。

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